-与那原通(よなばるつう)-

「二度とない人生だから」悔いなく、仕事も趣味も楽しみ、地域に尽くしたい。【後編】

2013年6月1日(土)

前編では、幼少期から高校、大学と多感な時期を過ごし、郷土愛に目覚めた照屋義実氏を紹介しました。後編では照正組2代目就任から、地域への取り組み、そしてプロ級の趣味まで、ざっくばらんにお話いただきました。

 

前編からつづく

【後編】(バブル崩壊の危機を誰よりも早く見抜いた創業者に対して)

 

─創業者の勘はすばらしいですね。  

 

厳しい業界を真剣勝負でくぐり抜け、現場で鍛え上げてきたするどい直感を見せつけられました。1991年2月に緊急役員会を招集し、2泊3日の合宿の中で緊急経営改善対策会議を行い、新規事業の打ち切りと購入していた土地の売却を決定しました。このときはまだバブルが崩壊したとは思っていませんでした。経済企画庁が「バブル崩壊時期を1991年2月と定める」と発表したのはそれから数年後です。今にして思えばまさにバブル景気に湧き、崩壊の危機にさらされていたわけです。ただ危険信号を見逃すことなく早めに手を打ったことによって、被害を最小限に食い止めることができ、1年半で元に戻すことができました。

 

 

─同時期に社長に就任されていますね。  

 

1991年に2代目として社長に就任しました。その際、創業者の精神(魂)を受け継ぎ「熱意を尽くし、誠意を尽くし、創意を尽くす」を経営理念として掲げ、理念に基づき「人をつくり地域に尽くす」を企業使命感としました。当初、企業使命感は「人をつくり地域を拓く」でした。社長就任から5年目に現在のイエローハットの創業者であり「日本を美しくする会」の相談役の鍵山秀三郎氏に出会い、「掃除に学ぶ会」に参加したとき、地べたにはいつくばって排水溝を掃除する鍵山氏の姿を目の当たりにし、「地域を拓く」という言葉がおこがましく感じられ、「地域に尽くす」に変更したのです。「掃除に学ぶ会」との関わりは、19年目になります。

 

 

─与那原大綱曳とのかかわりもまさに「地域に尽くす」につながるわけですね。  

 

帰郷して翌年の夏、与那原大綱曳が近づいていたある日、仕事をしていたら父から「今日は綱づくりの日なのに仕事をしている場合か。すぐに綱づくりに参加しろ。若い者が継承しないと大切なものを失ってしまう」と言われました。以来、今日に至るまで毎年綱づくりに参加しています。

 

照屋会長

▲2012年に行われた「与那原大綱曳まつり」にて。左から2番目が照屋会長。

 

 

─与那原まつりを立ち上げたのも照屋会長とお聞きしましたが。

 

与那原町商工会青年部の初代部長に就いたとき、名護市には町づくりのヒントがたくさんあると聞いて視察に行きました。そのとき大盛況だった名護の桜まつりが自分たちで作った祭りと知り、ふと与那原大綱曳はこのままでいいのかという疑問を抱きました。作る・かつぐ・曳くだけでいいのかと。青年部には綱武士がたくさんいましたので熱く語り合い、すぐに与那原大綱曳を後世に繋ぐためのビジョンをまとめあげ役場に掛け合ったのです。

 

そのときは神事である与那原大綱曳とまつりを一緒にはできないという理由で却下されました(苦笑)。そこで1年目は自分たちで企画し、仕事を放り出して資金も自分たちで集めて実施しました。名護のヒンプンガジュマルから綱曳き会場まで駅伝をしたり、島尻郡で車両パレードしたり、新聞に全面広告も出して盛り上げました。これが今の与那原まつりの原形になっています。このときお化け屋敷も自分たちで作り、青年部が幽霊にもなりましたよ(笑)。大変でしたがいい思い出です。

 

2年目も自主運営で行い、3年目にしてやっと「第1回与那原まつり」が実現しました。運営組織は私どものアイデアで、与那原まつり運営委員会を立ち上げ、責任者である委員長には町長に就いてもらい、その下で与那原大綱曳実行委員会がコントロールするというスキームを作り上げました。

 

今でこそ全島の市町村で「○○まつり」と銘打ったイベントが行われていますが、当時はあまりなかったので与那原まつりは先駆的と言えます。その誇りがあるからこそ、昨年30周年を迎えたのを機に、他市町村との差別化として「与那原まつり・与那原大綱曳」という名称を「与那原大綱曳まつり」に変更したのです。

 

 

─どうしてここまで町づくりに力を入れられるのでしょうか?  

 

「生まれたところを愛したい」というか、自分を育ててくれた与那原への感謝の気持ちが強く、常に「もっと与那原を楽しくしたい」と思っています。

 

復帰20周年の節目には、東京ドームで与那原大綱曳を再現しました。また与那原大綱曳のルーツを訪ねる韓国ツアーも敢行しました。ちょっと自慢になってしまいますが(苦笑)、有志の仲間と一緒にまちかど図書館も実現しました。当時、与那原町には図書館がなかったので提案したのですが、新聞やテレビ、ラジオなどで一斉に取り上げていただき、他市町村から見学者が訪れ、町長からも補助金をあげようと申し出があったのですが、「いいえ、図書館を作ってください」とお断りしましたよ(苦笑)。

 

 

─ところで2016年には3代目に継ぐと宣言されていますが…。  

 

2代目就任以来、「3代75年企業」を目指し、2016年には3代目に継ぐと決め、長期的な展望で取り組んできました。バブル期に行った事業で得たノウハウを生かし、土地活用のアパート経営を提案する商品「ネクステージ」をはじめ、建売分譲、注文住宅といくつもの柱を立て事業に付加価値をつけてきましたが、既存事業だけでは衰退すると感じ、新規事業として介護福祉分野にも参入しました。社会福祉法人の理事長である大学の先輩から「福祉業界はお前に向いている。やるのだったらどんな援助でもする」と背中を押されたのも理由のひとつです。2007年には有料老人ホーム「ほがらか苑 与原」をスタートし、2012年には「ほがらか苑 おおみたけ」をオープンしました。

 

 

─多忙にもかかわらず、多趣味だそうですね。  

 

旅行、マラソン、カラオケなどを楽しんでいます。旅行のなかでもライフワークの県内有人離島(40)巡りは、水納島(多良間村)、オーハ島(久米島町)、前島(渡嘉敷島)、北大東島を残すのみです。マラソンは還暦を前に、これからの長い人生を楽しむためには体力づくりをしなければと思い、58歳のときに富士山に登りました。火口を一周しているときに軽い高山病になってしまいましたが、少し自信がついたので、これならマラソンもいけるのではと思い、第1回渡嘉敷島一周マラソンにぶっつけ本番で参加し完走。さらに気をよくして尚巴志、南部トリム、名護ハーフ、塩屋湾一周、久米島、あやはし海中ロードレースと走り続け、ホノルルマラソンも完走しました。マラソンはそれぞれの地域の景観を楽しみながら、地元の応援を受け、走ったあとの交流も楽しめるので、無理のない範囲で走り続けたいと思っています。

 

照屋会長

▲よなばるチャリティー歌謡ショーにて。前列中央が照屋会長、隣は古堅町長

 

 

─歌もプロ級と聞いていますが。  

 

下手の横好きで楽しませてもらっています。子どもの頃から歌が好きで、小学6年生のときには、学校代表で独唱コンクールに参加したり、RBCラジオに出演して童謡を歌ったり、「歌おう、踊ろう、カチャーシー勝ち抜き合戦」という番組に浪人中に仲間3名で出演したこともありました。「歌おう〜」では、4週連続で勝ち抜いたことでちょっとした有名人になり、町を歩いていると「カチャーシーのニィニィだ」と声かけられたこともありました。

もちろん今も時間があればカラオケを楽しんでいます。私の一番のカラオケ仲間は、板良敷で薬剤師をしている姉の徳村江美子(めぐみ薬局)なのですが、メールや電話で「時間ある? カラオケいかない」と誘ってくれます。ステージのあるカラオケでなりきって歌うのが楽しいんですよ。歌仲間がいるのは、ありがたいです。ボランティアとして「チャリティーよなばる歌謡ショー」も2回開催していますが、趣味がお役に立てるとは思ってもみませんでしたので、何よりもうれしいですね。

 

 

 

照屋会長

─十八番は?  

 

最近は布施明や小金沢昇司、前川清をよく歌います。今年の「チャリティーよなばる歌謡ショー」では、谷村新司の「ラストソング〜最後のライト〜」を歌いました。リフレッシュには趣味が一番です。いくつものチャンネルを持つことがストレスをためないコツ。すべてを忘れて楽しめる趣味があるのは幸せです。

 

 

─最後に与那原通を見ている皆さんにメッセージをお願いします。  

 

坂村真民先生の詩「念ずれば花ひらく」「二度とない人生だから」に心惹かれます。二度とない人生だから、両親からいただいた自性を生かして、誰もが生まれながら持っている使命を果たして一生を終えたい。人生に無駄なことはひとつもありません。出会うモノやヒトからいろいろなことを教えられる。偶然はなく、若いときの出会いも未来へとつながっていると思います。私はこれまで、いろいろなご縁に恵まれ、助けられてきましたから。人生は深い縁の不思議な巡り合わせです。

 

そしてわが与那原についてですが、与那原町は沖縄本島内で一番小さな町ですが、人口が増え続けています。先人たちが鋭意努力してきたものを語り継ぎながら、新たな息吹を加え、次の世代に繋いでいければと思っています。その思いを表した古代人の次の言葉があります。

この言葉を最後に紹介したいと思います。

 

私たちはこの都市を

私たちが引き継いだ時よりも

損なうことなく

より偉大に、より良く

そしてより美しくして、次世代に残します。

 

〜古代ギリシャのアテネ人が新たな市民になる際の誓約〜

(リチャード・ロジャース+フィリップ・グムチジャニ著「都市 この小さな惑星の」より)

 

─長い時間、お付き合いいただきありがとうございました。

 

(記:czwrite)

 

 

沖縄県島尻郡与那原町与那原3108