-与那原通(よなばるつう)-

1950年代の与那原大綱曳を撮影した写真家 ──Blackieさん 【後編】

2014年7月20日(日)

前編では、Blackieさんが沖縄にやって来て、津覇さんと共にキーストンスタジオを立ち上げた経緯とキーストンスタジオ所有の写真についてご紹介しました。 後編は与那原大綱曳の写真の話からスタートしたいと思います。

 

2013年与那原大綱曳

▲現在の与那原大綱曳(2013年撮影)

 

 

Blackieさんが撮影した与那原大綱曳

 

わたしがざっと調べた限りでは、キーストンスタジオ所有の写真の中で与那原大綱曳と思われるものは約70枚ほどありました。

 

実は山のようにある写真の中で綱引きの写真はそう多くありません。 他にあったのは、那覇の栄町で行われたらしい綱引きの写真(のぼりに「栄町」の名前あり)とたぶん糸満と思われる綱引きぐらい。写真の中に闘牛の写真は何度も見かけたので、それと比べると数が少ない印象を受けたのですが、これは単に戦後しばらく綱引きを中止していたところが多く、開催される機会が闘牛の方が多かったからでしょうね。

 

前編でも書いたように各写真の撮影時期等は記録されていないので、約70枚の写真が同時期の撮影なのか異なる年での撮影なのか、ぱっと見ただけだとわかりにくいのですが、写真の質感と支度の姿から違う年に2回撮影されたのではないか?と思います。

ま、これに関しては綱武士の皆さんの方が詳しいと思うので、写真を見て正式な年代がわかる方は、情報をお知らせください。

 

※撮影された写真の年代について、情報をいただいたので、大綱曳の写真の紹介の一番最後に追記しました。

 

与那原大綱曳の写真 その1

 

与那原大綱曳 与那原大綱曳 与那原大綱曳 与那原大綱曳 与那原大綱曳

 

これらの写真は、以前ご紹介した動画と同じ時に撮影されたものだと思います。大綱曳の後には新築っぽい嘉手納のAIRMEN’S CLUBの建物の写真が撮影されていたので、たぶん1950年代後半に撮られたのではないか?と考えています。

 

●”Blackie-San” Okinawa: “Great Yonabaru Tug-of-War” (与那原大綱曳の動画)

https://www.youtube.com/watch?v=TYOPAd9EF4I&feature=youtu.be

 

 

 

■与那原大綱曳の写真 その2

 

与那原大綱曳 与那原大綱曳 与那原大綱曳 与那原大綱曳 メーモーイ

 

こちらは、先に紹介したものよりもだいぶ後に撮られたものではないかと思います。同時期に撮影されたと思われる写真に「第11回全島エイサーコンクール」の写真(写真内に看板が写っていた)があったことから推測すると1966年(昭和41年)かもしれません。

 

ところで、この時には大綱曳周辺の光景も一緒に撮影されています。それらを見ると、大綱曳以外の楽しみも満喫している当時の人々の雰囲気が伝わってきて、微笑ましく思いました。

 

与那原大綱曳

▲(写真左上より)1.暑い中、演奏をする金鼓隊の少年たち 2.大綱曳を横目に(?)カードゲームに興じる人々 3.大綱曳の後はそばの海岸で海水浴? 近くにはアイスクリーム屋さんも待機中  4.アイスクリームを買ってもらえたラッキーな少女は満面の微笑み

 

 

【2014年9月10日追記】

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与那原大綱曳の年代について、suusaaさんより情報をいただきました。

 

支度資料と照合すると

■与那原大綱曳の写真 その1

 1枚目は「花売の縁」らしいので1952年

■与那原大綱曳の写真 その2

 1~3枚目は「護佐丸と阿真和利」「浦島太郎」で1953年

 4枚目は「二童敵討」「牛若丸と弁慶」に見えるので1955年

ではないかとのこと。

 

その2は60年代かと思っていたので、少し意外でした〜。

となると、Blackieさんは3度も与那原大綱曳の撮影に行ったということですね。

しかも50年代の前半に続けていったということ。う〜ん、興味深い…。

ちなみに、その1が1952年であれば、動画の撮影も1952年か1953年の可能性が大ですね。息子さんが撮影の年代を知りたがっていたので、知らせておきます。貴重な情報ありがとうございます。

 

 

Blackieさんの人物写真

 

今回、Blackieさんが撮影した多数の写真を見て、風景、建物、自然、人物、風習、報道写真など、その写真のジャンルの広さに感心しました。その中でわたしが心惹かれたのは、彼の人物写真です。

その割合は全体からすると多いとはいえませんが、特に子供の写真には心動かされるものがありました。まだ決して裕福とはいえない時代ですが、そこには沖縄の子供たちがとても生き生きとした姿で写し出されています。

 

※1962年には「Okinawa Children in Photos(写真の中の沖縄の子供たち)」という本も出版されています。

 

沖縄のこども

▲1950〜1960年代に撮影されたと思われる沖縄の子供たち。彼らも今や50代半ばから60代はじめか?

 

や

▲ゲーム機がなかった時代の男の子たちの遊びは野球!

 

人物写真の被写体は老人と子供が多いのですが、Blackieさんがカメラを通して弱者である彼らに向ける視線は優しく、それが写真にも表れているように感じます。そこに正義感あふれる古き良き時代のアメリカの雰囲気を重ねて見てしまうのは、わたしだけでしょうか?

 

 

Blackieさんのもうひとつの顔

 

Blackieさんを語る上で、もうひとつ忘れてならないのは慈善団体や布教活動に対する彼のサポートです。

彼を紹介した文章の中には「Operation Goodwil(親善活動)」と呼ばれるプロジェクトで、Ketchum宣教師と共に座間味村(の前島?)に赴き、食糧品、毛布、おもちゃ、文房具等を配布したと書かれています。

 

座間味島

▲座間味の学校で撮影されたと思われる写真

 

彼はまたメソジストのベル宣教師の北部へ伝導の旅に同行もしています。それ以外にもいろんな教会のために寄付の際に配られる印刷物用の写真を提供したり、カレンダーメモブックの売上げの一部を寄付したり…。

「彼が弱者に向ける視線は優しい」と感じたことを裏付けるかのように、Blackieさんは沖縄でさまざまな活動を行ったようです。

 

愛隣園彼は与那原町の児童養護施設「愛隣園」とも関わっていて、施設の広報用の冊子「愛隣園画集」のために写真撮影をボランティアで行っています。その活動を通じて、Blackieさんは愛隣園初代園長である比嘉メリーさんとも親しくなったようです。

 

実は、2年ほど前、Bradさんから比嘉メリーさんの親戚を探してほしいとお願いされたことがありました。

正直、その時は「比嘉メリーさんって誰?」状態のわたしでしたが、それを機にいろいろ調べて、比嘉メリーさんとは愛隣園初代の園長であることを知りました。そこから愛隣園に問い合わせして、昔の情報を知っている方を紹介していただき、最終的には関東在住の親戚の方の連絡先をBradさんに伝えることができたのでした。

 

与那原通の面目躍如といったところでしょうか? (ま、単に電話して聞いただけじゃんといわれれば、そうなんですけどね…。^^;)

 

 

Blackieさんとキーストンスタジオの功績

 

最初にBlackieさんの動画や写真を見たとき、彼は米軍の広報といったような部門のカメラマンだったのかと思っていました。でも今回、彼の経歴を調べてみて、彼は(最初の2年間は別として)立派なプロの写真家だったことを知りました。しかも、息子さんから提示してもらったいろんな資料を読んでみると、当時はかなり名の知れた写真家だったようです。

 

そこにはタイム誌とライフ誌のローカルカメラマンでもあり、NBCテレビの外国特派員も務めたと紹介してあります。彼の写真は、タイム、ライフ、サタデー・イブニング・ポスト、そしてナショナルジオグラフィックなど、有名雑誌が取り上げ、また、たくさんの沖縄関係の写真本も出版されました。

 

仕事仲間だった津覇さんにも聞いてみたところ「沖縄でも年配の人なら、カメラマンのBlackieといえば、知っている人は多いはず」といわれました。へ~、そうだったのですね。

 

当時を知らない世代にとっては、Blackieさんといってもピンとこない可能性が高いと思いますが、実は知らない間に彼の写真を目にしていることは多いのです。というのも、キーストーンスタジオで撮影された写真は那覇市歴史資料室に収集されていて、那覇市歴史博物館のデジタルミュージアムの写真資料の中で多数見ることができますし、古い時代の沖縄を紹介する写真集等にも掲載されており、戦後の沖縄の貴重な資料となっているからです。

 

また、数年前からは息子のBradさんがネット上でBlackieさんの写真や動画を数多く公開し、ブログやSNSを通じて、それらの沖縄の古い写真が結構話題になったりもしています。

 

 

息子さんの想い

 

最後に「なぜ父親の作品をネット上で紹介することをやりはじめたのですか?」というわたしの質問に対するBradさんの答えを紹介しておきたいと思います。

 

Blackieさんの子供たち

▲着物姿の少女と一緒に写るBlackieさんの幼き子供たち

 

それは父への愛であり、わたしが生まれ育った沖縄への愛からです。

 

また、沖縄の次世代に向けて、できることならポジティブな視点から(モノクロだった写真や動画を)カラー再生で見てもらいたいと思うからです。

 

わたしたち家族は基地内に住んでいなかったので、少年時代には(他の沖縄の子たちと同じうように)乾燥タコ(*1)を食べ、昭和バス(*2)に乗って石川ビーチに行き、那覇の映画館で映画『十戒』を字幕で見て、ハブ草(*3)が茂った丘で遊びました。

ちょっとした滝のような流れでお母さんたちが洗濯をしているのを眺めたり、父と台風やいろんな綱引きの撮影をしに行ったり、沖縄の友人たちと家で休暇を過ごしたり…。

 

そういった沖縄の記憶は今でもわたしをインスパイアし続けているのです。

 

 *1.乾燥タコ→干しダコのこと? 当時子供のおやつとしてよく食べられていたのか?

 *2.1950年代に存在していたバス会社のバス。

 *3.ハブ草→波布草? それともヤブガラシのこと? 英文ではHabu grassと書かれている。

 

Blackieさんと彼が撮った写真については、まだまだ興味がつきません。機会があれば、また情報を集めてみようかと考えています。彼が出版した自伝風な内容の書籍も手に入ることができたら(英語の勉強もかねて?)読んでみたいと思ったりもしています。

 

何はともあれ、Blackieさんをきっかけに、個人的に今まで知らなかった沖縄のさまざまなことをさらに知ることができました。彼とキーストンスタジオのたくさんの写真に感謝です!

 

 

Blackieさんの写真や動画は、今回ご紹介したキーストーンスタジオ時代の写真も含めて、息子さんが管理している以下のサイトで見ることができます。

 

●”BLACKIE-SAN” OKINAWA(フィルムや写真を動画で見れるようにしたもの)

 →https://www.youtube.com/user/wbm2012/videos

●1950’s “Blackie-San” Okinawa Project

 →facebookページ

 

Blackieさんと彼が出版した写真本等については、1940〜1970年代の沖縄紹介サイトや古書販売系のサイト(どちらも海外サイト)などでもかなり詳しく紹介されています。興味のある方は調べてみてください。

 

※プラザハウスさんの3Fに新しくできたスペースのオープニングとして、展示会「RYCOM ANTHROPOLOGY OPENING EXHIBISION」が開催されています。キーストーン時代に撮影されたBlackieさんの写真も展示されています。(期間:2015年4月26日〜6月28日)
興味のある方は見に行ってみてくださいね。 (2015年4月29日追記)

 

※記事に掲載している写真の著作権はすべて、The Tsuha Blackie-San Okinawa Collection: Keystone Portrait Studios and “Blackie The Photographer”に帰属します。

 

 

文 fuu

 

 

写真家Blackieさん 【プロフィール】

 

Blackie(Ernest Gordon Bradford)

 

戦後大きく変わりゆく沖縄を撮り続けた米国の写真家。

1949年から1968年の沖縄在住時に撮影した膨大な写真や情報はタイム誌やライフ誌をはじめする各米国雑誌でも紹介された。

Blackieという愛称は常に黒い服(アンダーウエアさえも!)を着ていたことから由来しているという。

1999年に逝去。

 

Allen、Brad、Danny、Chinenの4人の息子のうち次男のBradが管理しているサイトやfacebookページなどで、写真家Blackieが撮った沖縄のさまざまな写真や動画を見ることができる。