-与那原通(よなばるつう)-

与那原は僕を育ててくれた町。

2010年7月1日(木)

元町議、タウンプランナーズ初代部会長、な〜んて経歴を聞くと、お堅いイメージだけど。実は…、ちょっと照れ屋でおちゃめな社長さんでした。

米須清栄さん (有限会社 東部開発 代表取締役)

海遊びと映画三昧の少年時代。

板良敷の浜に立つ米須さん

にこやかな表情でインタビューに答える米須さん子どもの頃、与那原小学校の目の前が砂浜だったので、学校帰りは、海に飛び込んで泳ぐのが日課でした。板良敷近くの浜は、岸の先端が細長く伸びていたので「ナガサチ(ながさき)」と呼ばれていてね、当時、流行っていた歌謡曲「長崎の鐘」は、この浜のことを歌っていると思って、「与那原はすごい」と勘違いしていました(笑)。

 

もう一つの楽しみが映画。当時、町には、「沖映(現在の沖銀あたり)」と「モナリ座(森下区)」の2つの映画館があって、ヨーバル(字与原)の母の実家に遊びに行きがてら、祖父にもらった25セントのおこづかいで映画を観るというのが楽しみでした。ただ怖い映画を観たあとは、真っ暗な夜道を歩くのが怖くてね。板良敷は街のはずれで街灯もなく、木々も鬱蒼と茂っていたから、今にも幽霊が出てきそうだったんですよ。

 

大学を卒業後は、いろいろな仕事を経験しました。海洋博を前に「これからは観光業だ!」と閃いて、勤めていたりゅうせきを辞めて、東京のYMCAでホテル業を学んで、グランドキャッスル(現・ホテル日航グランドキャッスル)や、オリオンビール系列のホテルで支配人を務めたり、タウンプラザかねひでに勤めたり、15年余りサラリーマンをしていました。

 

人生、のるか反るか。やらなければ成功も失敗もない。

東部開発の前に立つ米須さん

米須家の皆さん東部開発を開業するまでは、ほとんど3年スパンで転職。やる前に悩むよりも、やりながら考えるタイプなので転職には迷いはありませんでした。東部開発を開業したのは1985年。同じ頃、マリンタウンプロジェクトが動き出したので、急速に与那原とのかかわりが深まりました。始まりは、島尻JC(青年会議所)の理事長を務めていたとき、マリンタウンプロジェクトのフォーラムを企画したのがきっかけです。42歳で町議になったのも、地元のことだから、もっと積極的に関わろうという思いがありました。

 

さらにマリンタウン東浜の情報交換を行うために、与那原商工会会員の不動産業者をはじめ建築士や司法書士に声を掛けて立ち上げたのが「タウンプランナーズ部会」です。まぁ、言い出しっぺだからね。部会長を務めるしかないでしょ(笑)。当時は県の宅建業協会の理事もしていたので、沖縄県土地開発公社 与那原支社と宅建業協会を繋げて、広く東浜をアピールしてもらうことにも成功しました。

 

マリンタウン東浜は、小さい与那原町にとって未来を左右する町民の大きな夢。今後は、旧市街地と新しい街をどのように融合させ、発展させていくかが課題です。子や孫のためにも良い街になってほしいと強く思っています。

 

【与那原Q&A】
好きな場所:東浜の海岸沿い
与那原はどんな町:自分を育ててくれた町
与那原自慢:気は強いけど優しい人々。

【プロフィール】
1946年12月31日生まれ。板良敷出身。(有)東部開発代表取締役。与那原小→与那原中→知念高校→琉球大学経済学科卒。多様な業種のサラリマーン時代を経て、東部開発を設立。町議(2期・8年間)を努め、タウンプランナーズ初代部会長に就任。地元の声をマリンタウン東浜の開発に活かそうと尽力する。

 

有限会社東部開発【有限会社 東部開発】
与那原を中心に南部地域の賃貸物件、売買物件を紹介。地域に密着したきめ細やかなサービスと軽いフットワークが定評。
与那原町字板良敷119-1
098-945-1469
http://www.tobu-okinawa.com/

 

 

沖縄県島尻郡与那原町板良敷119−1

【取材後記】
「米須家5代目当主です」と、しゃれっけたっぷりの自己紹介で始まったインタビュー。「職歴がおもしろいよ」とは聞いていたけど、まさか町議だったとは、びっくり。さまざまな組織の理事や理事長を務めるなど人望の厚さが伺えるが、ご本人は「たまたま」「なりゆき」「やる人がいなかった」と、さらりとかわされてしまいました。(czwrite:記)