-与那原通(よなばるつう)-

「人間国宝」となった今もなお、芸妓に磨きをかける宮城能鳳氏

2011年7月9日(土)

ある取材をきっかけに「組踊」を初鑑賞したのは、この4月のこと。「ゆったりとした歌と踊りのテンポに眠くなってしまいそう」と勝手なイメージを持っていましたが、鑑賞後には「食わず嫌い」の印象はガラリと一転。「沖縄にこんなに気品あふれる世界があったのか!」と衝撃を受けました。

※ 組踊とは、琉球王国時代、玉城朝薫によって創始された歌三線(音楽)・唱え(セリフ)・踊り(舞踊)で構成された歌舞劇のこと。

 

「美男に夜ばいをかけて断られ鬼女と化してしまう女(執心鐘入・しゅうしんかねいり)」など組踊のストーリーは、テレビドラマに負けないほど奇想天外で見ている者を飽きさせない魅力がいっぱい。近年では沖縄の伝統芸能を気軽に楽しめるように、「組踊の楽しみ方」といった解説付きの鑑賞会を行うなど、初心者でも楽しめる演目も上演されています。

 

執心鐘入

玉城朝薫の五番「執心鐘入」で宿の女を演じる宮城能鳳氏(左)※

 

 

そして何よりも惹き付けられたのが組踊立方(たちかた・演者)の皆さんの品位あふれる立ち居振る舞い。ベテランから若手まで礼儀正しく、取材している側への気配りもきめ細やかで、品格にあふれていて美しい!

 

一気にファンになってしまい、あれやこれや調べているうちに、なんとこの与那原に、国指定重要無形文化財「組踊立方」保持者(人間国宝)に認定された宮城能鳳(みやぎ・のうほう)氏がいらっしゃることを知りました。早速、取材のお願いをしたところ、横浜能楽堂での出演を終えたばかりのお忙しい中、快くお引き受けいただきました。

 

インタビュー─組踊をはじめられたきっかけは?

 

琉球古典音楽をしていた父の影響で、幼少の頃から琉球古典舞踊に親しんできました。と言いましても、高校時代は洋楽ファンでピアノを習っていましたので音大を目指していたこともありました。ですが高校2年のときに母が亡くなり、進学をあきらめ琉球政府に勤め、舞踊の道からも少しずつ離れていきました。

 

─公務員から、どのような経緯で芸能の道に戻ってきたのでしょうか?

 

今は亡き私の師匠の宮城能造先生の踊りに出合い、身震いするほどの衝撃を受けたことがきっかけでした。やはり踊りが好きだったのでしょう。公務員勤めをしていたときも、バス停から自宅までの帰り道、舞踊のこねり手やセリフを唱えながら歩いていたほどですから。「忘れかけていた組踊の世界に戻ろう」と決め、宮城能造先生の師事を仰ぎたく門をたたきました。

 

仲里節

▲30代半ば、仲里節で里之子(さとぬしー)を演じる※

─以来ずっと芸能の道を?

 

そうですね。公務員の仕事も辞め、喫茶店でアルバイトをしながら本格的に舞踊に取り組みました。おかげさまで、3年間で琉球新報社琉球古典芸能コンクール新人奨励賞、優秀賞、最高賞の3賞をいただくこともできました。「仕事も辞めて芸に打ち込む青年だから」と先生にも認めていただき宮城能鳳の芸名を許され、西原町兼久に稽古場を持たせていただくことになりました。

 

─ご自身の技芸を磨くためのお稽古はとても厳しいとお伺いしましたが。


何事も徹底的にやらなければ気がすまない凝り性なところがありまして。初めてお稽古場をもたせていただいたときも1年という異例の早さで発表会を開くことができましたが、無理をしたため膵臓を悪くしてしまいました。発表会当日は知り合いの医師に控えてもらいながら行い、終演と同時に病院に担ぎ込まれてしまいました。その後も無理を押して稽古や舞台を踏み、体を壊したことが何度もありました。

この世界にはお父上が舞踊家であられるご子息の方も多く活躍されており、その方たちと肩を並べていくためには、「人の何倍も努力をしなければ」という思いが、がむしゃらな稽古へと走らせたのかもしれません。そのため青春時代は組踊と舞踊にあけくれ、恥ずかしながら遊びごとは全く知らずに過ごしました(笑)。

※ 琉球新報社琉球古典芸能コンクールとは、琉球古典芸能の保存・継承・後継を目的としたコンクールで1966年より毎年開催されている。


 

琉球舞踊

古典舞踊から雑踊まで多彩な女踊を演じる。左から伊野波節(ぬふぁぶし)、花風(はなふう)、柳(やなじ)※

 

 

─2006年には人間国宝に認定されたわけですが、その一報はどこで、どのように受けられたのでしょうか。

 

県立芸大で教鞭をとっていますが、そのときも大学に行こうと玄関先で靴を履いていたときに電話がなり、文化庁の方から「この度、人間国宝にあなたを認定したいのですが、お受けいただけますか」と言われまして。何の前触れもなく突然のことでしたので頭が真っ白になり、思わず「私がですか?」と言ってしまいました(笑)。冷静になって「お受けします」とお応えしましたが、うれしさと同時に私に務まるのだろうかという不安が交差したのを覚えています。それからマスコミ報道までの間は、一切他言してはいけないと言われまして、周りの方に伝えたくても伝えられない苦しみを2週間ほど味わいました(笑)。

 

銘苅子

銘苅子(めかるしー)で天女を演じる(中央)※

 

 

─2010年には、組踊がユネスコの無形文化遺産に登録されましたね。

 

組踊が、歌舞伎や能、人形浄瑠璃など日本の伝統芸能をはじめ、世界の文化遺産と肩を並べるまでに評価されたことは、大きな喜びであり、沖縄県民はもとより、日本国民の誇りでもあります。

組踊は、歌と踊りだけでなく、三線・琴・笛・胡弓・太鼓などの音楽、そしてあでやかな琉球衣裳などが一堂に会す総合芸術と言われています。セリフ回しなどは音楽的要素が高く、役柄によって違い、女の唱え(となえ・セリフの意味)などは一定のメロディーが付いているのが特徴です。これまでにも欧米諸国やアジアで公演をしてまいりましたが、ヨーロッパで上演したときなどは、ご覧なってお帰りになる観客の方が、女の唱えを真似て口ずさんでおり、ここまでしっかりと観劇していただけたのかと感動したこともありました。また、間の者(まるむん)と言いまして能でいう間狂言(あいきょうげん)が、物語の本筋とは別に肩ほぐしとして、主人公の人物像やあらすじを語る役柄もあるなど、ほかの日本の伝統芸能にはない、琉球王国ではぐくまれてきた独特の芸能であること。こうした独自性が評価されたのではないでしょうか。

 

─組踊の魅力、みどころはどんなところでしょうか。

 

「組踊は聴くもの」と表現されるように、見たままを感じるだけではなく、いろいろと想像を巡らせながらそれぞれお楽しみになっていただけたらと思います。 近代演劇のように喜怒哀楽をストレートに出さず、内に秘めて演ずるのが組踊の難しさでもあります。見る人を泣かすのであって演じるものは泣いてはいけないと言われており、目線の置きどころや歩みの早さ一つで感情を表現するわけです。

 

 

momo─与那原にお稽古場を持って約10年になるそうですが、与那原の住み心地はいかがですか?

 

与那原は琉球古典音楽界の大家・宮城嗣周氏や仲泊兼蒲氏、演劇界の重鎮・伊良波尹吉氏、民謡界の大御所・前川朝昭氏といった方々を輩出した伝統文化の町であり、そこにご縁をいただいたことにとても満足しております。私が引っ越してきたとき周りは野原で住宅も建っていませんでしたが、最近では多くの皆様が住まわれるようになりまして。私も忙しく地域の人々と触れ合う時間がありませんが、少しずつ与那原とのつながりを広げていければと思っています。

 

─与那原で好きなところはございますか?

 

すぐ近くの板良敷の浜辺です。愛犬のももちゃんを連れて、海沿いを歩くのを日課としています。海風に吹かれて歩くのはとても健康的で気持ちがいいですね。 愛犬のももは、お稽古がはじまると音楽を聴いているかのようにおりこうに待っています。ですがこのように話しをしていると自分も仲間に入れてもらいたくて、クーンクーン鳴くんです。組踊を分かっているのか、不思議ですね(笑)。

 

 

インタビュー2─最後に今後のご予定をお聞かせください。

 

組踊は、「たーがんないしんくみうどぅい ならんしんくみうどぅい(誰にでもできるのが組踊、誰もができないのが組踊)」と言われるように、容易いと思えば容易く、奥深いと思えば奥深い。まだまだこれからだという意識で探究すれば質の高いものを演ずることができる芸術ですので、いつまでも現役として技芸に磨きをかけていきたいと思っています。また、今は、県立芸大での客員教授をはじめ、国立劇場おきなわにおいて若手育成のための「組踊研修生」の指導を行っており、これからも若手の育成に力を注いでまいりたいと思います。そして、世界遺産に登録されたことに恥じないように、組踊の保持者として質の高い舞台にしていきたいと思います。

それから今は思うように時間を取ることができませんが、機会があれば与那原町で独演会を開いたり、子どもたちに組踊のワークショップなどを行えればと思っています。

 

 

現在、沖縄県が建設を検討し ている「沖縄県立郷土芸能会館(仮称)」を誘致するために与那原町実行委員会も立ち上がり、伝統芸能への関心も高まっています。ぜひ、与那原で組踊を上演してください。楽しみにしています。

 

【宮城能鳳氏プロフィール】

1938年、南城市佐敷に生まれる。幼い頃から琉球古典舞踊の手ほどきを受け、1961年から宮城流・流祖宮城能造に師事し、本格的に組踊、琉球舞踊を学ぶ。女形として卓越した技法を習得し、県内外・海外で多数の公演を行う。86年に国指定重要無形文化財「組踊」保持者、96年沖縄県指定無形文化財「沖縄伝統舞踊」保持者、06年重要無形文化財「組踊立方」保持者(人間国宝)となる。07年からは沖縄県立芸術大学名誉教授として後継者の育成にも力を注いでいる。09年与那原町制60周年記念「特別功労賞」受賞。

 

【取材後記】

「人間国宝」の宮城能鳳氏への取材とあって緊張と不安が交差していましたが、いざインタビューをはじめると、なぜか緊張は溶けて、心は穏やかになってきました。芸能の知識に乏しい私に対しても、分かりやすく丁寧に説明してくれたり、秘話を披露してくれたり、気さくにお話してくれたことが緊張をほどいてくれたのだと思います。 宮城氏は当代きっての女方として知られ、その所作(演技)は、「女性がうっとりするほど美しい」と女性ファンをうならせています。わずかな振りで表現する組踊では、「女方だからといって媚びてしまえば嫌悪感を与えてしまうため、あくまでも自然体で演技をする」というように、今回の取材では、その所作は一日にしてならず、日々の研鑽で積み上げられてきたものであることを納得させられました。(記:czwrite)

 

※印の写真は宮城能鳳氏提供