-与那原通(よなばるつう)-

赤瓦コースターでまちおこし。新たなアイデアを生み出す。

2012年1月10日(火)

与那原町の名物と言えば、ローカルヒーローのモチーフにもなっている、赤瓦、綱曵、ひじきが有名。そのうちの一つ、赤瓦の特徴を生かした「赤瓦コースター」が、与那原町の名を全国へと広めています。

 

2011年11月には、地域資源を生かし、商工会の支援を受けて開発された優秀な特産品として「むらおこし特産品コンテスト」(主催・全国商工会連合会)で、中小企業庁長官賞を受賞。今回の人物インタビューには、「赤瓦コースター」を製造している新垣瓦工場の新垣文男社長にご登場いただきました。

 

コースター

赤瓦コースターは丸型(写真左)と角型があり、デザインは、丸型がジンベイザメ、シーサー、ハイビスカス、プルメリアの4種類、角型はお父さんシーサー、お母さんシーサー、ペアシーサー、子供シーサー、ハリセンボン、沖縄地図、ハイビスカス,守礼の門、シオマネキの9種類がある

 

 

─この度は、中小企業庁長官賞受賞おめでとうございました。

 

ありがとうございます。まさか受賞できるとは思っていなかったので、うれしいと思うと同時に驚いています。2004年に開催された県商工会連合会主催の「ありんくりん市」で優秀賞をいただいて以来です。

 

─改めて赤瓦コースターの誕生秘話を聞かせていただけますか?

 

赤瓦コースターの生みの親は、息子の拓史です。息子はお小遣いを節約するために、この事務所でよく友だちと飲んでいたのですが、そのとき偶然に浮かんだそうです。

 

新垣文男社長

─その発想とは?

 

氷が溶けてグラスについた水滴がポタポタとたれてテーブルを濡らしたので、たまたま近くにあった赤瓦をグラスの下に敷いたそうです。すると面白いように赤瓦が水滴を吸い取ってくれたので、「これは何かに使えるのでは」とコースターを思いついたみたいです。

 

─開発はスムーズにいきましたか?

 

売れるかどうかも分からないものにお金は掛けられないと思い、当初は手づくりで開発を試みたのですが、型を押すための圧力が弱く、厚みもあり強度も不安定でした。そこで奥原鉄工所さんに協力してもらい、オリジナルの金型の機械を作ることにしたんですが、イメージ通りのデザインに仕上げるまでには時間が掛かりました。機械ができると試作を作り、思うようにいかなければ機械を作り直す、ということを4、5回繰り返し、半年かけてやっとイメージ通りの金型ができ細い線が出せるようになりました。

 

さらに沖縄県商工会連合会のエキスパートバンク事業を活用して、専門家に試作品を見てもらい、商品をブラッシュアップした。コースターの裏面にゴムを付けてテーブルとの間に隙間を作り、水分の吸収率をアップさせることに成功。実用新案も取得したが、思うように売れなかったという。

 

 

─周りの反応はいかがでしたか?

 

反応は良かったのですが、売れませんでした。私たちは製造者であり、流通は全くの素人。ただモノを作れば売れるものではないことを思い知らされました。パッケージも素っ気なくて、透明の袋の中に手書きで「瓦コースター」と書いた紙切れを入れていただけだったんですが、これでは売れないと思い、与那原町商工会に相談したんです。そこでいろいろと知恵を貸してくれたのが、現在全国商工会連合会で専門指導員をしている、天才・津波古透です(笑)。当時は与那原町商工会経営指導員だったので、彼のアドバイスを受けて、ネーミングとパッケージを見直すことにしました。ネーミングは、より沖縄らしさを強調するために「瓦コースター」から「赤瓦コースター」に変えました。パッケージには、そのものズバリ「水滴を吸い取る」という商品特徴を添えました。

 

赤瓦コースターの誕生秘話を物語にし、津波古氏が漫画に描き起こしてくれたおかげで、より分かりやすくアピールできるようになったが、ヒットまでの道のりはまだまだ遠かった。

 

 

コースターイメージ

─販売はいかがでしたか?

 

観光土産品として売り込もうと、息子と二人で那覇空港の売店に営業に出向いたのですが、全く相手にされませんでした。あとで知ったのですが、空港の売店で販売するためには業者を通さないといけなかったんです。この時点で気づけばよかったのですが、(売り込めば売れると思っていたので)懲りずに国際通りの土産品店に営業をかけたんです。7月の暑い日、汗びっしょりになりながら国際通りを往復して200件ほどの店舗に飛び込んだのですが、興味を示してくれる土産品店はありませんでした。

そんな状況に肩を落としてうなだれる息子の姿を見て、「どんなことをしても赤瓦コースターを売ろう」と決心しました。

当時は、赤瓦やレンガも作っていましたが、いずれは赤瓦製造から赤瓦グッズ製造へと事業を転換しようと真剣に考えました。

 

同じ頃、与那原町商工会の経営革新セミナーに参加し、これからの新垣瓦工場のビジョンについて事業計画も練り上げ、2005年には、経営革新計画の認定を取得した。その事業計画書では、5年後に事業転換を図る予定だった。

 

 

─ヒットのきっかけは?

 

赤瓦コースターを広く知ってもらうために、与那原町商工会の指導のもと、この工場で記者会見を開いたのが、大きかったと思います。テレビや新聞などマスコミに取り上げられ、すぐに卸し業者から問い合わせがありました。これを追い風に、当初の計画より3年ほど早めて、赤瓦製造を辞めようと決めました。

 

工場

─不安はなかったのですか?

 

なぜか「赤瓦コースターは売れる」と確信していました。思い込みですよ、思い込み(笑)。当時、製造していた赤瓦やレンガは、当社売上の3分の2を占めていたので、大きな賭けでした。でも真剣に赤瓦コースターを売るためには、これまでの実績を捨てないとダメだと思いました。商工会をはじめ、周りからは「早すぎる」と反対されましたが、経営者が腹をくくり真剣にならなければ、職人もついてきてくれませんから。

 

赤瓦製造のときのお客さまは建設業者だったが、赤瓦コースターのターゲットは観光客。沖縄への入域者数が順調に推移するのに比例して、赤瓦コースターの売上も順調に延びた。しかしSARSやリーマン・ショックなどで観光業が落ち込むと、売上にも影響が出始めた。そこで次なる展開として着手したのが、県内外向けの需要拡大だったという。

 

 

─どんな手を打ったのですか?

 

県内向けのギフト用商品です。赤瓦コースターのセットや、琉球ガラスと組み合わせたギフトセット(箱付き)を作りました。またお祝い返しや企業のノベルティなどあらゆるシーンで活用できるように、オリジナル赤瓦コースターの製作を受けるサービスも始めました。2011年の12月15日からは、多孔質の赤瓦の性質を生かした商品として「赤瓦アロマプレート」の販売も始めました。香りをしみ込ませた赤瓦プレートにはオーガンジーの袋を添えて、女性を意識した商品に仕上げました。この商品は50店舗ほどで直販する予定です。

 

アロマプレート

香りはシークヮーサーとハイビスカスの2種類、デザインはシーサー、ジンベイザメ、ハイビスカスの3種類

 

─アイデアはどんなときに浮かぶのですか?

 

私と妻、息子でよく話をしますが、そんな日常会話の中にアイデアが隠れていることが多いですね。身内なので本音で話し合える一方で、ときにはけんかもします。そんなときのルールは、「お互い責めないこと」(苦笑)。最近では息子の嫁の意見も参考にしています。本土出身なので、私たちウチナーンチュの気づかない点を指摘してくれるので、とても助かっています。今後は観光客ではない県外向けの商品も開発していく予定なので、長男嫁の意見に期待しているところです。

 

そのほかの商品

割れると願いが叶うと噂される幸運ストラップ(左)は、割れて琉球大学に合格したという実話も。「海ぷちシリーズ」(右)は、沖縄の海(海水と星砂)をガラス玉に閉じ込めたアクセサリー

 

─最後に与那原の好きなところは?

 

ここに生まれていなければ、今の仕事には巡り会えていません。与那原に生まれたからこそ、赤瓦コースターを世に送り出すことができました。与那原以外に暮らすことなんて考えられませんよ。

 

─今日は、ありがとうございました。今後のご活躍を期待しています。

 

  • 新垣瓦工場
  • 住所:沖縄県与那原町字上与那原452-2
  • TEL:098-945-2617
  • 営業時間・定休日:8時30分~17時30分(日曜・祭日定休)
  • URL:http://akagawaracoaster.web.fc2.com/
沖縄県島尻郡与那原町上与那原452−2

 

【編集後記】

今回の取材を二つ返事で快諾してくれた新垣文男社長。にこやかな笑顔はとても親しみやすく、見ず知らずの人からも声を掛けられやすく、あるとき朝の散歩中に、ラジオ収録の人から突然インタビューされたことも。文男社長のモットーは、「頼まれたことは、可能な限り応えるようにしている。それがどんなことにつながるか分からないし楽しい」という。人との出会いを大切に、仕事を楽しみ、そして真剣になれば良い方向に動き出す、そんなことを教えてくれたインタビューでした。(記:czwrite)