-与那原通(よなばるつう)-

あの日を境に生活のすべてが変わってしまった ──鈴木宏美さん

2012年3月18日(日)

2011年3月11日。あの東日本大震災から1年が経ちました。

この1年の間、自分なりに被災地に対してできることは何か考え、それなりに実行してきたつもりですが、未だに終わりの見えない被災地の状況や放射能汚染問題に相変わらず考えさせられる日々が続いています。

 

東日本大震災

▲東日本大震災(いわき市豊間地区被害 ) 財団法人消防科学総合センター「災害写真データベース」より

 

そんな中、今回、わたしは福島から沖縄に避難されてきた方にお話を伺ってきました。

沖縄では、震災を機に東北や関東から引っ越してこられた方々が増えています。わたしも、この1年の間に、仕事先、食事先、買い物に寄ったお店などで、東北や関東から避難してきたという方に会う機会が何度かありました。(この与那原通にも、与那原に引っ越して来たという方からメールをいただいたことも!)

 

※県防災危機管理課によると、2月23日現在、東北3県(福島・宮城・岩手)からの避難者数は874人となっており、うち福島からは691人だそうです。

 

そういう避難者の状況を紹介したいという思いと、そして、今まさに、将来の避難先の情報を集めている方々にとって、少しでも何らかの参考になれば…と思い、震災から1年を機に取材することにしました。

 

 

鈴木さん

今回、お会いしたのは鈴木宏美さん(写真左)。

福島県いわき市からご主人の生まれ故郷である沖縄に子供さん2人と一緒に避難されてきました。現在は、与那原のお隣の西原のアパートにお住まいとのこと。

 

与那原の東浜にある「マリンプラザあがり浜」のフードコートにて、お話を伺いました。

 

 

 

震災当日から沖縄に来るまで

 

取材時の様子

──震災当日の様子をお聞かせいただけますか?

 

地震が起こったときは、会社にいました。とにかく揺れがすごくて、室内にいられず外に出ました。その間も、ずっと強く揺れ続けてました。目の前の電柱が倒れて、近くにあったコンビニが倒壊していくのも目撃しました。

 

──どのくらいの間、そこにいたんですか?

 

2、30分の間です。

その間、車のラジオをつけて、ニュースを聞こうと試みてたんですが、車もずっと揺れで動き続けているので、怖くて、ちゃんと聞くことができませんでした。でも、そこにやって来た知り合いの人から「津波警報が出た」という話を聞いて、会社から避難することになりました。

 

──その後、家に戻られたのですか?

 

保育園に(当時1才だった)子供の迎えに行きました。普通は15〜20分で着くのですが、その時は1時間ぐらいかかりました。幸いにも上の子(当時小学校1年生)も学校が終って、保育園の中にあった学童にいたので、2人とも一緒に引き取ることができました。その後、自宅に帰りました。

 

──ご自宅は津波などの心配はなかったのですか?

 

家は高台だったので、大丈夫でした。家族も皆、無事でした。

ただ、自宅までの道はものすごい状態でした。建物が崩れてガレキがすごいし、道路が地割れしているところもあって、本当に大変でした。余震はその後もずっと続き、家の中にいるのが怖かったので、その日は車の中で一夜を過ごしました。

 

──それが震災当日ですね。それから?

 

翌日、3月12日に福島原発が爆発したというニュースを耳にしました。

それで、取るものも取りあえず、栃木県の知人のところに家族で身を寄せました。そこには夜中に着いて、6日間ほどいました。でも、原発の状況が収束しそうもなく、主人が沖縄の義母と話し合ってくれて、下の子供2人とわたしは沖縄に避難することになりました。

それで、一旦、いわきに戻って、身の回りのものをまとめて、再度、栃木経由で成田へ。成田で一泊した後、翌20日のチケットが取れたので、3月20日に沖縄に避難してきました。

 

 

沖縄到着から現在のアパートに落ち着くまで

 

取材時の写真

──それじゃ、沖縄では、まずはご主人のご実家に滞在されたのですか?

 

いいえ、実家には3人が生活できるだけのスペースがなかったので、まずはドミトリーのような宿で過ごしました。

そしてそこにいる間に、県の支援の話を聞いて、県庁や市役所に行ったりしてました。

ただ、そういう支援は被災証明書がないと受けられないということだったので、いわき市の役場にも連絡をしましたが、役場が機能していないようで、全く連絡がつきませんでした。ようやく3月末になって、証明書を発行してもらえることになり、4月から西原の県営住宅に住めることになりました。

 

──子供さんは?

 

なんとか住民票をこちらに移して、上の子は4月から学校に通えるようになりました。

 

──住むところが決まって、子供さんの学校も決まったら、だいぶ、落ち着きました?

 

そうですね。

でも、5月頃が一番つらかったです。 仕事もまだしてないときで、お金もないので、とにかくずっと家の中にいました。それが、精神的にとてもつらかったです。

 

──仕事はいつ決まったのですか?

 

6月に被災者受け入れの仕事(事務)を見つけて、応募したら、運よく採用していただけました。

 

──その後は?

 

県営住宅の支援が半年ということになったので、9月になって、引っ越し先を探しました。その後も県からの新たな住宅支援があったのですが、なかなか引っ越し先が決まらなくて…。

 

──決まらないというのはどうして?

 

支援を受けるためには、敷金・礼金ゼロのところで、耐震基準を満たしていて…など、借りれる住宅に関して、とっても細かい条件があったんです。なんとか条件を満たすアパートを見つけても、毎回、大家さんに断られて…。ようやく、今のところでOKをもらえました。

 

 

沖縄生活について

 

子供と一緒に

──沖縄での生活はどうですか?

 

そうですね。沖縄についていえば、生活しやすい場所だと思います。多くの方々に親切にしていただいて、本当に感謝してます。

ただ、やはり仕事が多くはないという問題はあるし、子供のいじめ問題などもあったりしました。

 

──東北・関東には今も避難すべきかどうか悩んでいらっしゃる方がいます。その方たちに向けて何かアドバイスがあれば。

 

避難すべきかどうかという点については「できればした方がいい」と思います。 少しでも不安があるのなら、まずは一時的でいいので、県外へ離れてみるのがいいです。

それは、放射線量の低い土地で暮らすことで、身体の健康を取り戻すことになるし、外から自分の住んでいた場所を見ることで、今までとは違う考え方を持つこともできるようになるからです。

 

でも、沖縄に親族がいるわたしでさえ、心がくじけそうになることが度々ありました。子供も学校でいじめにあったりもしたし、こちらでの生活が長くなればなるほど、これからのことが心配で精神的な不安にかられます。 そういうことを考えると、わたしは、悩んでいる人に安易に「早く避難した方がいい」ともいえないですね。

 

──最後に、避難されてきた方々に対して、わたしたちができることは何でしょう?

 

やはり多くの避難者、特に子供と母親だけの避難者は孤独感を感じていると思います。なので、声をかけてもらえると少しは安心できると思います。

 

 

 

マリンプラザあがり浜

▲インタビューの場所となったマリンプラザあがり浜。当日は小雨がぱらついていました

 

実は、鈴木さんのご主人は、震災で今までの仕事を失い、現在、あるメーカの下請けとして福島第一原発内で作業をされているそうです。理由は「福島のために誰かがやらないといけないから」。

震災以前は、原子力発電については特に深い関心もなく、自分たちが原発から何キロ圏内に住んでいるのかも意識してなかったという家族が、その頃には想像もつかなかった生活を今では強いられているわけで、その胸中や察するに余りあります。

 

 

沖縄では春の気配が

震災状況やその後の被災地の様子はさまざまなメディアで紹介されているので、沖縄で暮らしているわたしたちもいろんな情報を知ってはいますが、実際に地震を体験した方から直接話を聞くと、やはり毎回、胸に迫るものがあります。

 

今回の取材中、質問をすると、鈴木さんが一瞬、言葉につまる場面が何度かあったのが印象的でした。たぶん、短い間にあまりにも多くの非日常的な体験をしてしまうと、どこからどう話していいのか?途方に暮れてしまうのだろうなと感じました。

 

日本列島は地震の活動期に入ったともいわれています。沖縄も決して対岸の火事ではありません。被災地から遠い沖縄に住むわたしですが、これからも、自分にできる支援は何か考えて、それを続けていきたいと思います。

 

 ※災害時の与那原町の避難場所については、以下の記事をご参照ください。

 →もしものときに備えて! 与那原町の防災マップ

 

被災地のさらなる復興と、被災された皆様に平安な日常生活が一日も早く訪れることをお祈りいたします。

 

 

【2012年4月1日追記】

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与那原町商工会(青年部・女性部)は、3月16日、与那原大綱曳Tシャツ収益金の一部を東日本大震災義援金として日本赤十字社沖縄県支部に寄付しました。

金額は以下の通りです。

 青年部 294,700円

 女性部 73,850円

 合 計 368,550円

 

「想い綱げよう(チバリヨー東日本)」というロゴ入りTシャツをご購入いただいた皆さん、ありがとうございました。 与那原が誇る与那原大綱曳を通じて、被災地への支援ができるのは本当にうれしいことですね。

今年の与那原大綱曳Tシャツも期待しています!^^

 

写真・文 fuu