-与那原通(よなばるつう)-

これまた泣かずに読めない「与那原大綱曳in大正区」に参加した方からのレポート

2012年10月4日(木)

前回お届けしたひらさんこと与那原町商工会の経営指導員・上間さんのレポートはいかがでしたでしょうか?

 

そのひらさんが、与那原大綱曳in大正区に参加した方たちにアンケートをとってくれていましたので、いくつかこちらでご紹介していきたいと思います。
この感想文を読んでいると、大正区での与那原大綱曳の映像が目に浮かぶようで、また目頭が熱くなってくる私…年のせいでしょうか?最近ほんとに涙もろくて…。うぅ。(TωT)

 

それではどぞっ!

 

 

 

 

与那原の大綱曳きを見てみたいと、この数年なんとなく思っていました。
けれども関西に住んでいて、ちょうどその時期に沖縄に行くことができるほど、自由に旅行というのはなかなか難しいものですから、それは「なんとなく」思うだけになっていました。

 

春先に、思いは叶う、の言葉通り、大綱曳きが大阪に来るという情報を受けました。
そしてわたしは友人を誘って、大正区の与那原大綱曳きの会場に出向きました。

 

とてもとても暑い日で、大正区千島公園のグラウンドは、
陽炎が立つかと思うほどの熱気に包まれていました。
グラウンドの真ん中では人だかりができ、子どもたちの大綱曳きが繰り広げられているようです。
出遅れたわたしたちは人だかりの外で、周囲を取り囲む沖縄県人会の方たちのお店を一軒一軒のぞいて歩きました。
大正区に移り住んだ沖縄の人たちが、守り続けている遠い故郷の味は、わたしが普段食べているものとは少し違い、それだけでも沖縄の雰囲気を感じることができました。

 

夕方になり、だんだんと会場に人が多くなって、
大綱曳きに参加する衣装を着た人たちが増えてくると、祭りの気分が高まってきます。
わたしはその様子をどれも見逃さないようにと、あちらこちらを見て回りました。
ステージの両脇に立っている、見上げるような飾りものが下ろされ、担がれています。
お化粧をして、歴史上の誰かに扮した人もいます。
そしてゆっくりと祭りが始まりました。

 

ステージの上では、大綱曳きを初めて見るわたしにもわかりやすいように、丁寧な解説をしてくださっていました。
大きな飾り物が夕暮れの空に踊り、太鼓や囃子の声が一層響いてきます。
そのころにはもうグラウンドは人であふれ、どれほど多くの人がこの行事を見たいと思っていたのかを感じました。

 

わたしは人に押されるまま、気づくと人垣の一番前にいました。
すぐ目の前に運ばれてきた綱は、大人の両手が周らないほどの太さで、まるで巨大な龍のようだと思いました。
それを綯うのがどれほど大変だったか、どんな苦労をしてここまで運ばれてきたか、と思うと、与那原の人たちがそこまでしてこれを大正区でしたいという思いの強さを感じました。

 

熱を帯びていく太鼓やどらの音と、風の吹き抜ける隙間もないほどの人だかりで、自分のいる場所が大阪なのだということを忘れてしまいそうになりました。
周りにいた人も飛び入りで参加をして、大きな綱は全身にびっしりと人をつけ、のたうつように見えました。

 

長い時間をかけた綱引きが終わると、会場の全員でカチャーシーを踊りました。
グラウンドにいたのは関西の人がほとんどだったと思うのですが、その人たちがみんな酔ったようにカチャーシーを踊るのを見たときは、これだけたくさんの人が沖縄の踊りを踊れることに驚きました。

 

わたしにはカチャーシーの手の動きがどうにも難しく、それでも手拍子をして、体を動かして、ちょっと仲間入りをさせていただきました。

 

祭りの後、綱を分けていただいてうちに持ち帰りました。
まるで夢のあとのような気分で、大阪の街の中に突然出現した与那原の夜を思い返して、今も懐かしく感じています。
与那原の大綱曳きを見て、ほかにはない、沖縄だけのリズムと空気としゃべり言葉と、食べ物と、そんなものすべてがとても大切に思いました。
そして何より、いろんな思いを持って沖縄を離れ、大正区に住む沖縄の人たちの郷愁と、それを思う沖縄の人たちの目に見えないきずなの深さを感じました。

 

今度はちゃんとカチャーシーが踊れるようになっていたいな、と思いました。
そして来年は与那原で大綱曳きが見たいと思いました。

 

関西在住:H様