-与那原通(よなばるつう)-

与那原のパワースポット・三津武嶽(ミチンダキ)へ

2012年12月19日(水)

先日行った「東御廻~い」で幾度となくガイドの赤瓦チョービンさんから聞こえてきた「聞得大君(きこえおおきみ)」の名前。(※スタッフブログ参照)

 

当日、マイクロバスのためふもとまでしか行けなかった「三津武嶽(ミチンダキ)」では、聞得大君のこんなお話が。(注:三津武嶽は東御廻~いのコースには含まれていません。)

 

 

聞得大君が、琉球発祥の地、久高島に参詣される途中に強い逆風に遭い、薩摩の国に漂流し、一命をとりとめることが出来、無事帰還するが、その時、既に彼の地で懐妊しており、王府からの招きを快しとせず、与那原海岸の御殿山に庵を結んで一生を終えた。
聞得大君が死後、葬られたと言われる場所であると遺老説伝の伝わる所である。
現在は子宝の神として子宝を望む人のお参りが絶えない。

 (与那原町教育委員会・文化財審議委員会発行「文化財マップ」より)

 

 

「聞得大君」と聞く度に私は、NHKで放送されていたドラマ「テンペスト」で、仲間由紀恵さん演じる主人公寧温(ねいおん)をいじめまくっていた、高岡早紀さん演じる「聞得大君」を思い出し、

 

え?あの高岡早紀(が演じる聞得大君)が与那原に住んでいたの!?
あの寧温を散々いじめた聞得大君が、与那原に葬られているの!?

 

なーんて勝手に誤解して想像していたのですが、「聞得大君」は人の名前ではなく、現代でいう「役職名」みたいなもので、1400年頃~1944年にわたり18代まで続いた琉球王国における祝女の最高位の職名なんだそうです。
高岡早紀の聞得大君を思い浮かべては、「与那原にあの魔女のような聞得大君が…」と思っていたのですが、テンペストの時代背景はちょうど幕末の1850年頃のお話しで、三津武嶽の聞得大君の言い伝えは、「与那原町の史跡」に書かれている一文に注意書きがあり、

 

 

「琉球中山王代記」に、察度王の子、武寧王の弟に本部王子があり、その子五男二女、次女聞得大君加那志は薩洲に行き三か年の滞在をする。
その後帰国したが、大君の地位にありながら、彼の地で懐妊し、それを恥じとして西原ミケン嶽で没する、その子が城間親雲(グスクマベーチン)上となる。
以上の記述から見ると、西暦1400年ごろの出来事と思われる。

 (与那原町教育委員会発行「与那原町の史跡」より)

 

 

ここに書かれている注意書きと三津武嶽の言い伝えが同じであるとすると、時は1400年頃(浦添王朝から琉球王朝に移り変わる頃)ということになります。
ただ、この聞得大君の子とされる城間親雲は、首里の名庭師と言われ、1819年に建設された石垣島にある宮良殿内の設計指導した、とあるので、時代の確定は難しいようです。
また、この時に生まれた子どもは海に流され、与那原マジクーという魚に生まれ変わった、という説もあるとか。

 

 

 

……とまあ、前置きが長くなりましたが、テンペストから始まり、東御廻~いへ行ったことで、私の琉球王朝への興味は大きくなったところで、「三津武嶽へ行ってみようではないか!」ということになり、与那原町役場の具志堅さんと与那原町商工会の上間さんにざっと道順を聞いて行って参りました。

 

ちなみに、近くに駐車場などはなく、また、途中から私有地を通るので、車などは公共の駐車場にとめて、徒歩で行かれることをおすすめします。
(※一番近い公共の駐車場は、与那原町コミュニティセンター、ここから歩いて20分くらいで行けます。)

 

道順などネットにも出ていなかったので、写真入りでご紹介したいと思います。
順番は左⇒右へ、下の段へ移って左⇒右へ。

 

三津武嶽への道順1 三津武嶽への道順2 三津武嶽への道順3
目印は国道329号線、西原に向かって行くと右手に有名な「与那原家そば」、 左手に「気になるお店」でも紹介した山羊汁・満腹の黄色い建物が見えて来たら、左折。 満腹さんの店の横(国道沿い)に、「三津武嶽→」の看板が出ているので分かりやすい。
三津武嶽への道順4 三津武嶽への道順5 三津武嶽への道順6
左折したら、とにかくまっすぐ直進します。 とにかくまっすぐです! おわっ!?分かれ道がありますが、ここもまっすぐです!
三津武嶽への道順7 三津武嶽への道順8 三津武嶽への道順9
2つめの看板が見えてきます。満腹さんからここまで2~3分くらい。 「ここから先は私有地のため車の乗り入れはご遠慮下さい」との看板が。 私有地をおじゃまします、私道を山に向かってさらにまっすぐ。
三津武嶽への道順10 三津武嶽への道順11 三津武嶽への道順12
すると右手に広~い空き地が。ここでいきなり迷いました! 空き地は、現在工事中の「与那原バイパス」の道路工事用でした。工事中の道路をまたいで山に向かいます。 山側から、工事現場の建物を見た写真。空き地の前から山に向かってまっすぐ入っていく感じです。
三津武嶽への道順13 三津武嶽への道順14 三津武嶽への道順15
山へ入る道は、ロープで区切られていました。遠くに「三津武嶽」の小さな看板が見えます。 かなり鬱蒼とした入口付近。先日、東御廻いで赤瓦チョービンさんから習った通り帽子を脱いで「おじゃまします」と一礼をし、草むらの洞窟をくぐって山道を登っていきます。 途中、川のせせらぎのような音が聞こえてきた辺り、1か所だけぬかるんでいる所がありました。しっかりした登山用の靴などを履いて行った方が良さそうです。
三津武嶽への道順16 三津武嶽への道順17 三津武嶽への道順18
行く途中に見かけた植物。名前は分からないけど、赤や紫、いろんな花や⇒ 人の背丈より高いクワズイモ⇒ 運玉森でも見かけた「アンマーチーチー(イヌビワ)」などなど。
三津武嶽への道順19 三津武嶽への道順20 三津武嶽への道順21
先に進むとちょっと急な登り坂になりますが、階段や手すりが整備されていました。 階段、ちょっとしんどいわ~と思ったところで、三津武嶽に到着したようです。 大きな岩の左手には、目印にしていた鉄塔がそびえ立っています。

 

 

岩をぐるっと後ろにまわると、三津武嶽の拝所があります。

三津武嶽写真

説明の看板も絵入りで設置されていました。天気もよく、午後の光が差し込んで、とても神々しく感じます。

 

 

三津武嶽写真

三津武嶽」は、3つの御嶽(うたき)「クシドムイ」・「ナカドムイ」・「ナードムイ」の総称なんだそうです。(町民ガイド養成講座に出席した商工会の上間さんの資料より)
中央の大きな拝所と左に小さく見える所と、頂上に到着した時に見えた岩の裏の所のことなのか、はたまた、別の場所にあるのか???不明。

 

 

お参りをして帰路へ。行く時は上ばかり見ていて気が付きませんでしたが、帰り道は左手に与那原の町が見渡せることに気が付きました。

三津武嶽写真

 

 

 

今回、三津武嶽のことを調べるにあたって、与那原町役場・具志堅さん、与那原町商工会・上間さんには大変お世話になりました。
上間さんや与那原町図書館で借りた資料いろいろ。

三津武嶽資料

 

 

テンペストの人気も手伝って、本土でも琉球王朝の歴史に興味を持ち沖縄に訪れる人も多いと聞きます。
その中でも与那原は重要な土地であり、三津武嶽をはじめ、東御廻~いのコースのひとつ親川(えーがー)など、多くのパワースポットがありますので、ぜひたくさんの方に訪れて頂きたいですね。(※親川については町歩き「あらためて親川通りを歩いてみたら…」を参照。)

写真・文:morie

 

 

 

↓※「大きな地図を見る」をクリックするとルートが表示されます

↓Google MapではB地点で道がなくなっていますが、さらにまっすぐ山に向かって進んで行く感じです。(※A地点は与那原町コミュニティセンター)


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