与那原入門-与那原通(よなばるつう)-

初心者のための与那原入門(+噂)


沖縄の中でもかなりマイナーな町、与那原。「どこにあるの?」「何があるの?」「沖縄なの?(!)」…そんな与那原初心者諸君、まずはキーワードで与那原のキホンを覚えよう。
そこには町民しか知りえないまことしやかな噂話も潜んでいる。

5.02平方キロメートル

…と、町の面積は沖縄本島で一番小さい。ちなみに、隣接する南風原町の面積は10.72平方キロメートル、西原町は15.84平方キロメートル。目立たないのも無理はない!? が、本島南部の東側では自他共に認める中心的存在。「その昔、南部の中心地といえば与那原だった!」と、某町民は胸を張る。

与那原交差点

国道329号と331号が交差し、南部、中部を結ぶ起点となっている。通称「与那原三叉路」。だが、厳密には「三叉路」ともいえず、どの道をもってそう呼んでいるのか町民ですら定かではない。交差点から与那原警察署に入る路地を入れているのか、329から首里へ抜ける県道なのか…。ナゾは深まるばかりだ。

聖クララ修道院

1958年に建てられ、与那原のランドマーク的存在として君臨。完成度の高い建築物としても定評があり、内地からもプロの建築家が多数見学に訪れている。施設内は自由に見学できるので、シスターに気軽に声をかけてみよう。
※町歩きの記事も参考のこと →与那原で多くの建築家と建築ファンが訪れる場所といえば… 与那原交差点

マリンタウン東浜(あがりはま)

中城湾海岸部、与那原町から西原町にかけての埋立地。埋め立てが完成した年、与那原町は、町の面積に対しての増加比率が日本一になったらしい。ちなみに、平成21年度の人口増加率は県内No1! このマリンタウンができたことで住民も増え、今まで与那原を「一瞬で通過していた」人々が、遊びや買い物目的で立ち寄るようになった。

えびす通り

与那原町を代表する商店街が、2010年3月末、マリンタウン東浜へ通じる道として生まれ変わった。道幅が格段に広くなり、新しい店もオープン。歩道には特産品の赤瓦が使われている。周辺の「親川通り」や「中央通り」には昔ながらの商店街が残っているので、この界隈をのんびり歩いてみるのもいいだろう。ちなみに、国道を挟んだ向かい側のエリアには飲み屋が連なる「オリオン通り」があり、こちらもいろんな意味で有名!?
えびす通り

与那原大綱曳

那覇、糸満と並ぶ沖縄三大綱曳のひとつ。一般に「400年以上続く伝統行事」といわれているが、年配の町民が昔っから「400年以上」と言っているため、「そろそろ500年ぐらいたってるはず」という噂も。毎年8月の大綱曳当日は、町内外から参加者が集まり祭の盛り上がりも最高潮に。綱武士(チナムシ)が担いで運ぶ大綱を、町のあんまー達がトランス状態で先導している!?
※綱武士=綱の担ぎ手

赤瓦

明治時代から瓦工場や工房が集まるようになった与那原町は、赤瓦の生産地として知られている。首里城復興の際にも与那原の赤瓦が使われた。質の高い瓦が求められ、職人は30万枚もの瓦を焼いて厳選し、失敗した瓦も約5万枚にのぼったという。最近ではお土産品として赤瓦コースターやストラップが人気。赤瓦ストラップは割れると願いが叶うらしい。

ひじき

与那原の海岸には昔からひじきが自生していた。今では与那原町板良敷の当添漁港を中心にひじき漁が行われ、町の特産品となっている。天然の与那原ひじきは栄養価が高く、肉厚で食感がいいと好評だ。乾燥ひじきは町内の商店街などで通年購入できる(10月に在庫切れとなる店もあるらしい)が、ひじきの旬は3~5月。与那原生ひじきのしゃぶしゃぶを出しているレストランが新都心にあるそうなので、これは食べに行かねば!…でもなんで与那原にないの?

ヨナバルファイタースリー

与那原町の発展を目指すローカルヒーロー。カワラレッド、ツナヒキイエロー、ヒジキブラックと、与那原名物になぞらえた3人のヒーローが…と思いきや、現在はソバホワイト、デイゴオレンジ、マリンタウンXが加わり6人体制。役場近くに秘密基地があり、町の北西にある運玉森(うんたまもり)で謎の修行を積んでいるという。
ヨナバルファイタースリー

1949年

与那原町が誕生した年。大里村(現南城市)から分立した形だ。その後、隣接町村との合併話もあったが、最終的には我が道を貫いた与那原。もしかしたら幻の東方市(あがりかたし)に、はたまた2006年に発足した南城市になっていたかもしれない……が、これでいーのだ!

山原船(やんばるせん)

戦前まで与那原には良港があり、本島北部の山原地帯とを結ぶ交易船、「山原船」が出入りしていた。中北部の木材や薪炭などが与那原経由で那覇や首里へ運ばれ、山原へは与那原で調達した日用必需品が運ばれたという。そのため町では商店街が賑わい、割烹なども多く、そこで働く女性達のために美容室が増えたとか。現在、与那原町内にやたら美容室が多いのは、その名残だろうか?

馬車スンチャー

スンチャーとは「引く人」という意味。山原船から港に陸揚げされた物資を各地へ運ぶなど、戦前の与那原には荷馬車や客馬車がひしめきあっていた。「与那原馬車スンチャー」は有名で、勇ましく道を行き来する様子から、「与那原人(よなばるんちゅ)の気質は荒々しい」と言われるようになったとか。
馬車スンチャー

軽便鉄道(けいびんてつどう)

戦前、沖縄には鉄道が走っていた。沖縄県営鉄道(通称・軽便鉄道)与那原線は那覇駅(現在のバスターミナル)から国場や南風原を経由し、終点は与那原駅だった。その与那原駅跡に建つJAおきなわ与那原支店の壁には、当時の様子を紹介する写真パネルが貼られている。戦争で破壊されることなく、今も「与那原駅」があればもっと便利だったのに…。沖縄に再び鉄道を!!

与那原テック

かつて与那原町内には「与那原テック」という沖縄唯一の遊園地があった。場所は町の東南にある雨乞森(あまごいもり)という丘陵地帯。観覧車、メリーゴーランド、ジェットコースターなど、乗り物もけっこう充実していたようだ。1986年に閉園し、現在跡地はゴルフ場になっている。観覧車のゴンドラのひとつは金武町に残っているらしい。

御殿山・親川(うどぅんやま・えーがー)

本島南部・東側の聖地を巡拝する東御廻(あがりうまーい)で、与那原の御殿山と親川は首里出発後、最初の拝所となっている。東御廻は古くから王族や島の人々に受け継がれてきた神拝行事。今日でもバスや車で“東御廻ツアー”を行う人は多い。親川はかつて休憩の御用水を献じた所でもあるという。ちなみに、現在親川に大綱曳きのカナチ棒が水に浸された状態で保管されている。これは防虫とひびわれ防止のためらしい。

与那原そば

陸海交通の要衝として栄えたことから行き交う人も多く、かつては与那原の町中にたくさんのそば屋があったという。沖縄そば発祥の地ともいわれ、与那原そばの麺の決め手は木灰だった。今では昔ながらのそばを食べられる店はほとんどなくなってしまったが、町内に住むお坊さんが、与那原そばを再現しているとかいないとか…。

※噂話についてはあくまで噂であり、確実な情報ではありません。